商船三井マリテックスで観測技術員として活躍する中尾氏は、第66次南極地域観測隊の一員として、過酷な南極の海に挑みました。大学時代の経験から“船に乗る”という夢を追い続け、ようやくたどり着いた南極の海。その舞台裏には、観測機器の運用や過酷な環境下での作業、そして研究者を支える技術員ならではの視点がありました。次は北極へ——地球規模の観測支援を担う中尾氏のこれまでとこれからに迫ります。
--- 船に乗る仕事を目指したきっかけは?
中尾
もともと魚、特にサメが大好きだったんです。そのためサメの研究で有名な先生がいたことを理由に、北海道大学水産学部に進学しました。大学には練習船があり、また水産資源研究所の調査船でアルバイトとして乗船したこともあります。そのとき、船の上で研究者の方々を補助するのがとても楽しくて、「船に乗る仕事がしたい」と思うようになりました。
新卒時は造船会社に入社してコンテナ船の建造工程管理をしていましたが、「やっぱり船に乗りたい」という想いが募り、海技短大への進学を検討するほどでした。そんなときに出会ったのが、商船三井マリテックス(旧MOLマリン&エンジニアリング)でした。研究船に乗り、技術員として研究者を支えるという仕事は、自分のやりたいことにぴったりだったんです。
--- 観測技術員としてどのような業務をされているのですか?
中尾
現在は、国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の学術研究船「白鳳丸」に乗船し、観測技術員として機器の運用や保守を行っています。主に担当しているのはマルチビームソナーや超音波式ドップラー流向・流速計などの船底から音波を発信して海底地形や潮の流れのデータを取得する装置や相対重力値を計測する船上重力計という装置です。「白鳳丸」は商船三井マリテックスが運航支援および観測支援をしており、船が停泊する岸壁手配、食料品や部品調達のほか、船上で機器に不具合が起きたときの原因調査やその対処にも携わっています。定期検査時には工務監督として造船所に駐在し、船の状態を確認しながら必要な整備や修理が適切に行われるよう管理しています。
技術員の役割は、単に機器を操作するだけではありません。研究者が求めるデータを正確に、効率よく得るための支援を行うことが求められます。研究内容も多岐にわたるので、日々新しい知識を吸収しながら働いています。
--- 南極観測隊に参加することになった経緯は?
中尾
2023年に商船三井が北極域研究船「みらいⅡ」の運航予定事業者として決定し、2026年の竣工までに極地観測の現場を知る技術員の育成が求められていました。そのような背景もあり、実は入社当初に、上長から「南極に行くチャンスがあったら行ってみたいか?」と聞かれていたんです。「行きたいです!」と即答したのを覚えています。もともと映画『南極料理人』やアニメ『宇宙よりも遠い場所』などを観て憧れがあり、人生で一度は行ってみたい場所でした。
堺雅人さん主演の『南極料理人』、皆様はご覧になったことがありますか?(映画.com)
自分が選ばれた理由は、おそらく「白鳳丸」で長期航海を経験していたこと。そして、観測機器の運用経験があり、研究者とも円滑なコミュニケーションが取れるという点を評価していただいたのだと思います。上長の推薦もあり、国立極地研究所との調整の中で、第66次南極観測隊の一員として参加することが決まりました。
--- 南極ではどのような観測を担当されたのですか?
中尾
今回の観測隊は、南極地域観測第Ⅹ期6か年計画である「過去と現在の南極から探る将来の地球環境システム」のもとで、重点研究観測サブテーマ1「最古級のアイスコア採取を軸とした古環境から探る南極氷床と全球環境の変動」による最古級のアイスコア採取のための氷床深層掘削や、サブテーマ2「氷床―海氷―海洋結合システムの統合研究観測から探る東南極氷床融解メカニズムと物質循環変動」でのトッテン氷河沖での集中観測、サブテーマ3「大型大気レーダーを中心とした観測展開から探る大気大循環変動と宇宙の影響」での南極昭和基地大型大気レーダーを中心とした多角的な大気複合観測および国際共同観測を継続することを主な目的としています。中でもサブテーマ2のトッテン氷河沖での集中的な海洋観測を実現するため、66次隊では史上初の2Leg制となりました。私はその集中観測のチームに加わり、Leg2である2月下旬から4月上旬まで南極観測船「しらせ」に乗船していました。トッテン氷河は、東南極に位置する大規模な氷河で、近年とくに融解が進んでいる地域の一つとされています。トッテン氷河が融解する原因として、海盆域から大陸棚へ暖水が流入することが考えられています。
私が主に担当したのは、トッテン氷河沖でのCTD-RMS観測です。CTDは塩分、水温、圧力(深度)を計測するセンサーで構成された観測装置です。これを海に沈め、水温と塩分の深さ方向の分布を観測します。また任意の深度ごとに採水し、サンプルを研究者へ渡すというのが主な業務です。
写真左)フリーマントルで南極への出航を待つ南極観測船「しらせ」(商船三井マリテックスHP)
氷河を融かす能力がある暖水がどこから流れ込み、どのように氷河の底面を融かしているのか。その流入経路や流入量の季節的な変動を明らかにするために、CTD-RMS観測のほかにも係留系・漂流系による観測、無人探査機による氷下観測、各種船上大気観測、船上培養実験等が実施されました。
ただ、南極の海は一筋縄ではいきません。氷が海面を覆い、観測機器を吊り下げたウィンチワイヤーが氷と接触すると最悪ワイヤーが切れて機器が亡失するリスクもあるため、装置の投入や揚収にも神経を使います。装置の設置や引き上げのタイミング、角度、氷の動きの読み方ーすべてに注意が必要でした。
写真右)実際に使用したCTD-採水システム
写真左)観測用クレーンを用いて、吊り上げられたCTD
写真右)船尾に砕氷が密集していて、CTDや鉛直曳きネットを投入するための開放水面が確保できない場合、プロペラを左右に回転させて氷板を押しのけることで水面を確保します
--- 南極の海で働くことの過酷さ、印象に残っていることは?
中尾
まず、寒さの次元が違いました。外気温はマイナス19度。寒冷地用の分厚い手袋をつけた状態で採水作業をしていても、水に触れようものなら、指先が凍りつくような痛みを伴いました。作業中、「これが“血管が凍る”という感覚なのか」と思ったこともあります(笑)。
写真右)採水作業
それでも、南極の海にはそれを上回るほどの美しさや驚きがありました。氷山を初めて見たとき、「ああ、今、普通の海とはまったく違う場所にいるんだ」と実感しました。ペンギンやアザラシ、クジラなど、野生動物たちが日常的に船の周りを泳いでいて、最初は大興奮でした。でも、日が経つと見慣れてしまい、ペンギンを見ても「またいたか」くらいになってしまう(笑)。それだけ南極という場所が圧倒的な環境だということだと思います。
--- 観測隊での生活はどのようなものでしたか?
中尾
基本的なスケジュールは、朝6時頃に起床、午前と午後で観測作業、夕方以降は自由時間という流れでした。毎日18時には全体ミーティングがあり、自衛隊からの連絡事項や次の日の観測予定などを共有します。また、19時からは共用スペースの清掃があり、お風呂場やトイレ、廊下などの共有スペースの掃除を皆で分担します。就寝時間は自由でしたが、だいたい23時頃には静かになります。
娯楽や交流の時間も大切にされていて、自衛隊員と観測隊員と合同で娯楽大会(任天堂Switchのマリオカート、将棋やオセロ、ダーツのトーナメント戦)が開催されました。私は体験できなかったのですが、クリスマスのケーキ作りやお正月の餅つき、しめ縄づくり、バレンタインなど季節行事も実施されたようです。特に印象的だったのは「ひなまつり」で、自衛隊の給養員や女性隊員の方と一緒に作ったクッキーを配りながら船内を練り歩いたこと。笑顔が生まれるこうした瞬間も、長期航海の中でコミュニケーションを深めるには欠かせない要素です。
食事はとてもおいしく、イベント日には特別メニューが提供されることも。9のつく日はステーキ、11や22などゾロ目の日は麺類、18日はお昼にハンバーガー、金曜日はカレーと、自衛隊の給養員の方が朝昼晩工夫を凝らしてくださいました。
インターネット環境も整っており、スターリンク(低軌道衛星)の回線が一部で使用可能でした。社内のメールも見ることができてしまい、現実に引き戻された瞬間もありましたが(笑)、南極でメールを受け取るという体験自体が、なかなかできない貴重なものでした。
--- この南極での経験を、今後どのように生かしていきたいですか?
中尾
一番大きいのは、極地観測という特殊な環境での観測方法や、安全管理、研究者との連携について、多くのリアルな知見を得られたことです。これらの知見は、2026年に就航する北極域研究船「みらいⅡ」で必ず役に立つと考えています。氷の中での操船や停船保持、研究機器の扱い方など、経験を共有することで今後の観測活動の質を高められると思います。
また、研究者の熱意に触れたことも大きな収穫でした。南極で観測ができるのは一握りの人間だけ。どの研究者も「この一瞬を逃したくない」という気持ちで観測に臨んでいて、その姿に強く胸を打たれました。観測技術員として、そうした思いを支える存在でありたい。だからこそ、私自身も、もっと技術を高める努力を続けていきたいと思っています。
南極に続いて、今度は北極を目指します。そしていつか、「地球のあらゆる海を知る観測技術員」として、世界の海をつなぐ仕事に貢献していけたらと願っています。
商船三井マリテックス株式会社は、2025年4月1日に商船三井グループの3社(MOLマリン&エンジニアリング株式会社、商船三井オーシャンエキスパート株式会社、MOLシップテック株式会社)の統合により誕生した、海事技術の専門集団です。
社名“Maritex”には、海事(Marine)と技術(Tech)の融合、そして専門家(Expert)としての誇りと未来への挑戦が込められています。3社の強みを掛け合わせた「X」は、未知への挑戦と可能性の象徴です。
商船三井マリテックスは、デジタルを核にしたマリンテクノロジーのエキスパート集団として、以下のような多岐にわたる事業を展開しています 。
商船三井マリテックスは、海事技術の未来を切り拓く専門集団として、グローバルな海運業界の発展に貢献してまいります。安全・効率・革新をキーワードに、確かな技術力と柔軟な対応力で、お客様の多様なニーズに応えていきます。
今後とも、商船三井マリテックスの挑戦と成長にご期待ください。