「貨物を安全に目的地まで届ける」─それは海運業における最も重要な使命であり、船員一人ひとりの高度な知識と技術がその実現を支えています。
2025年9月16日〜17日、東京・虎ノ門にて商船三井が開催した「MOL Annual Training Conference 2025」では、当社が世界6カ国(日本、フィリピン、インド、モンテネグロ、ロシア、インドネシア)に展開するトレーニングセンターの講師陣や、当社が取り組むOJTプロジェクト(後述)のOnboard Job Training Instructor(OJTI)、およびManning Companyの船員訓練担当者といった、多様な経験と知見を持つメンバーが集結。様々な視点から現状の船員訓練における問題点及び未来の海技教育のあり方について活発に議論を交わしました。
今回のブログでは、商船三井がどのようにして「安全の最前線」を築いているのか、本Conferenceの現場に密着し、その取り組みと議論の様子をお届けします。
Conferenceでは、船員教育・訓練に関する多様なプログラムが実施され、参加者にとって交流と学びの機会となりました。
初日となる9月16日の朝、会場では商船三井Global Maritime Resources Division(以下GMRD)のメンバーによる挨拶があり、2日間の議論の幕が開きました。
まず壇上に立ったのは、船長として長いキャリアを持つ谷本専務執行役員。
「皆さん、おはようございます。私は1990年にこの業界に入り、今は執行役員として安全文化の醸成に取り組んでいます。商船三井グループの安全ビジョンを実現するためには、全員が安全行動を実践し、現場での言動がグループ全体の安全基準を引き上げる原動力となります」と力強く語りました。
さらに、今後のビジネス環境は技術革新やグローバル化などでますます複雑化していくことを指摘。「AIやIoTを活用したリスク予測、多様性への対応など、従来の枠を超えた新しい訓練が求められています。皆さんには未来を見据えた新しい研修の形を積極的に提案してほしい」と呼びかけました。
続いて、GMRD部長であるCaptain Animesh Horeが登壇。「このConferenceでは、現場の声を反映しながら価値を生み出してきました。今年も世界中から優秀なインストラクターが集まり、未来の船員教育・訓練について議論できることを嬉しく思います」と挨拶。
特に印象的だったのは、「2040年の教育・訓練を想像してほしい」いうメッセージ。「新しい規制や技術、燃料、社会からの期待が高まる中、最低限のコンピテンシーだけでは不十分。最高水準の安全・品質を目指すため、今から多次元的なスキルを持つ人材育成が必要です」と語りかけました。また、インストラクター自身のスキルアップの重要性にも言及。「現場と会社をつなぐインターフェースであるインストラクターの知識やスキルを体系的に高めていく仕組みが急務」と強調しました。
各セッションでは、登壇者からの発表だけでなく、各国の講師・OJTIが積極的に参加し自身の経験と照らし合わせながら活発な意見交換を行いました。多様なプログラムからいくつかご紹介します!
2日間のプログラムのトップバッターを務めたGMRD内の1チームであるGlobal Seafarers Education and Training Management Teamからは、「学びの文化は一方通行ではありません。自由に質問し、議論し合うことで本当の価値が生まれます」と参加者に語りかけました。
このセッションでは、「学びの文化」の基礎や3つの学習理論(認知主義・行動主義・人間主義)、学習デザインの流れ、ケーススタディ、そして振り返りの重要性が紹介されました。
特に印象的だったのは、「学びは継続的なプロセスであり、失敗は成長の機会。反省とオープンな姿勢が組織の学びを強くする」というメッセージ。また、「学習者のタイプを理解し、それぞれに合ったアプローチを取ることが大切」とし、現代の多様な学びのスタイルに対応する柔軟性の必要性を強調しました。
1日目はその他にも、市場に既存のコースが存在しない中で商船三井により独自に開発された「二元燃料発電機」および「LNG再液化システム」に関する最新技術の訓練が紹介されました。また、Bridge Resource Management(BRM)とEngine-room Resource Management(ERM)を統合した「Maritime Resource Management(MRM)」の重要性についても議論されました。
2日目の午前の部では中核を担う訓練であるBRM訓練及びERM訓練について機関士・航海士チームにわかれて、更に実践的な内容について協議し今後の訓練実施方針を固めました。
ERM訓練については昨年のConferenceで5日間とする必要性を説明し、今年から全てのトレーニングセンターで5日間コースとして開始しました。今年のConferenceではERM訓練の実施にあたり各国のトレーニングセンターで感じた不具合、疑問や提案、それに対する改善案などをプレゼンし参加者間で共有しました。具体的には9つのトピックが取り上げられ、これらの課題は来年のConferenceに向けて検討していきます。
乗船期間の短縮や二元化燃料船が次々と出てくる状況にあり、現場経験が不足しがちな若手船員にとって実践的な陸上での訓練が今以上に必要となっています。こうした変化の中でERM訓練は現場での判断力やリーダーシップを鍛える貴重な機会となっているのです。
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どちらもLNG(液化天然ガス)と重油の両方を燃料として使用できる二元燃料エンジン
左)ファシリテーターによる熱心な講義の様子、右)真剣に耳を傾ける参加者
BRM訓練チームのプログラムは、商船三井マリテックス株式会社が所有する操船シミュレータ施設に会場を移して実施されました。近年多発しているGPSスプーフィングやジャミングの事例を切り口に、「Automation Awareness(自動化への認識) 」について協議を行いました。
航海士をはじめとする船員全体において、船上機器(航海計器)の自動化に対する過信が懸念されています。これは、航海計器に依存しすぎることで航海当直者が誤った判断を下すリスクが高まるという問題です。船橋では操船に関わるデータが統合的に自動収集される仕組みが整っていますが、その利便性に頼りすぎることなく、船長や航海士はデータの信頼性を正しく評価し適切な意思決定を行う必要があります。
また、BRM訓練におけるResource Management Skillは”Human” Resource Managementに焦点が当てられることが多い中、”Technical (Equipment)” Resource Managementについても船員に求められる重要なスキルであることが改めて強調されました。
Automation Awarenessを強化するため、新たなシミュレーション・シナリオの立ち上げを目指し、各国のトレーニングセンター講師陣と協議を実施し操船シミュレータにてサンプル・シナリオを体験した上で、新シナリオの実行に向けた方針を固めました。
またその他のセッションでは、メタン、アンモニア、水素といった代替燃料の安全な取り扱いに関する重要な訓練が紹介されました。過去に世界で起きたメタノール燃料船の運用課題、アンモニア漏洩、水素炎放出事故といった実例が挙げられ、代替燃料に伴う特有の危険性と、A3T (Analyze - Assess - Act - Thinking)という問題解決フレームワークを用いた対処法が議論されると、各国の船員たちは、それぞれの地域の規制やこれまでの経験を踏まえた質問を投げかけ、講師や他の参加者との間で新しい燃料技術の安全な導入に向けた深い専門的知見と課題認識を共有しました。
Conferenceの最終セッション「Atrium 8: Training Effectiveness and Development」では、各国のトレーニングセンターから集まった講師が、未来の海技教育・訓練のあり方について積極的かつ建設的に意見交換を行いました。「どうすれば商船三井の船員をより優秀に育てられるか?」という共通の課題意識を持ち、現場で実際に起きている「若手航海士・機関士の機器依存」「レジリエンスやエンデュランスの育成」「短期契約や現場経験の減少」「多国籍・多文化の強みの活用」などのテーマについて率直な議論を展開しました。
特に印象的だったのは、「デジタルスキルの活用」と「伝統的な人間力の継承」という現代的なテーマです。VRやシミュレータを活用したトレーニングの有効性が語られる一方で、現場での“手を動かす”経験や緊急時の“原点回帰”の重要性も強調されました。また、トレーニングセンター同士がより頻繁に情報交換しベストプラクティスを共有するため、年1回の対面会議に加え四半期ごとのオンラインミーティングを導入しようという具体的な提案も生まれました。
さらに、「次世代リーダーの育成」についても議論が白熱。リーダーシップは経験からのみ身に着けることができ、現場経験が減る今、どんなスキルを意識的にトレーニングに組み込むべきか、優秀な若手を早い段階から多様な現場で育てる仕組みの必要性など、「人を育てる」ことの難しさと重要性が改めて共有されました。
次世代のリーダーの育成について熱心な議論が交わされました
お客様の貨物を安全に輸送することを使命としている私たち商船三井は、過去の事故からも学び、同じ過ちを二度と繰り返さないという真摯な姿勢で訓練プログラムを開発してきました。
商船三井が展開する世界6カ国のトレーニングセンターに加え、フィリピンでは自営の商船大学「MOL Magsaysay Maritime Academy (MMMA)」を2018年に開校し、将来の海技人材の育成にも力を入れています。 操船シミュレータや機関室シミュレータを用いた実践的な訓練、VLCC/LNG荷役シミュレータを活用した高度な荷役訓練、そして溶接や救命訓練といった船上作業まで幅広いカリキュラムを、新人からベテラン、全ての職位の船員に提供しています。また、お客様の貨物の種類や船舶の大きさなど、個別のニーズに応じたオーダーメイドプログラムの開発にも対応し、長年の乗船経験を持つ経験豊富な船長・機関長が講師を務めています。
世界6カ国のMOLトレーニングセンター(商船三井HPより)
2009年に導入されたOJT(On-Job Training)プロジェクトは、経験豊富な船長・機関長がOJT専任のOJTIとして商船三井グループ運航船に乗務し、現場でしか発見できない潜在的なリスクや危険行為を特定し、その場で教育・訓練を行う画期的な取り組みです。このプロジェクトは、リスクを即座に軽減し、事故の再発防止に大きく貢献しています。その効果は数値にも表れており、OJTを受けた船は、PSC(Port State Control)検査における不備指摘数が約80%削減され、指摘されない割合が21%向上したという実績があります。これは、商船三井の訓練の質の高さを明確に示しています。
私たちは、代替燃料やAIといった最新技術の導入が、海運業界に新たな課題をもたらすことを認識しています。そのため、今回の会議で取り上げる代替燃料の安全な取り扱い訓練や、6か国に展開するトレーニングセンターの標準化に向けた議論など、常に未来を見据えた教育・訓練体制の強化に努めています。
商船三井は、「Awareness buys time; time buys options(認識は時間を与え、時間は選択肢を与える)」という状況認識(SA)の核心的な考え方を全ての船員に浸透させ、「4ゼロ」(重大海難事故、油濁による海洋汚染、労災死亡事故、重大貨物事故ゼロ)という究極の安全目標の達成を目指しています。
「商船三井グループ 安全ビジョン」のKPI目標として「4ゼロ」を掲げています(商船三井HPより)
商船三井のTraining Conferenceを通じて、最も強く感じるのは「安全文化」の根幹にある“人”の力です。140年以上の歴史の中で培われてきた知識と経験、そして現場でのOJTや多国籍のトレーニングセンターによる多様な学びは、すべて「安全」を最優先に考える商船三井の企業文化とも言えます。こうしたConferenceの場での意見交換を通して、最終的には「一人ひとりが安全を自分ごととして考え、行動する」ことを目指しています。
これからも商船三井は、時代の変化や新たな課題に柔軟に対応しつつ、グループ全体で「安全文化」を深化させていきます。未来の海運を支える人材育成の現場から、引き続きその歩みを発信していきます。