2025年06月02日
カーボンクレジットの市場につきましては、大きく分けて京都メカニズムやEU-ETSのように特定の制度・枠組み内における規制によって設定された(法的)義務に応じて行動することが求められるコンプライアンス市場と、特定の制度外において参加者が特定の義務を負うことなく自主的に行動するボランタリー市場が存在します。
パリ協定6条4項(以後PACM: Paris Agreement Crediting Mechanism)により創出されたクレジットA6.4ERsによる取引市場は、法的な義務を伴うものではなく、厳密な意味ではコンプライアンスではないですが、パリ協定という国際法上の枠組下にあり、各国がNDCを目指すために利用できる柔軟性措置である面から完全なボランタリーでもありません。また前編でも紹介しました6条2項の協力的アプローチでは、ボランタリークレジットがITOMs化を通じていわゆる6条クレジットになり得る道が開かれました。このような事情に鑑みますと、6条クレジットに関する市場につきましては、筆者個人的にはボランタリー的性格を有する准コンプライアンス的位置づけとして捉えています。
ところで、今後の市場への影響については、需要サイドの利用目的が大きく2つあるという点に注目する必要があります。一つはパリ協定締約国によるNDC達成目標であり、もう一つは企業などによる2050年ネットゼロといった自主目標達成です。特に後者は企業価値の向上が最終目的になると言えます。こうしたクレジットの利用目的を念頭に置きつつ、本編では上記(前編を含む)のような特徴を有する6条の合意が各市場へ及ぼす影響について概観することとします。
国連環境計画(UNEP)本部職員として92年リオの地球サミット準備委員会事務局等を歴任。ケンブリッジ大学大学院卒(MPhil)で気候変動政策の専門家、商船三井 首席ストラテジスト 丹本 憲による解説記事
今年2025年2月に日本政府が2035年、2040年に向けた新たなNDCをUNFCCC(国連気候変動枠組条約)に提出*1しましたが、パリ協定下における規制*2がますます厳しくなる中、締約各国はより高い野心的な目標を掲げる必要に迫られており、そのためのさらなる自助努力が求められています。その代表的な政策として炭素税や排出量取引が挙げられます。カーボンクレジットとの関係では、日本のGX-ETSのように、その手段の一つとしてキャップ&トレード式の排出量取引が導入されるケースも今後増えていくことになるでしょう。つまり、パリ協定上のNDC(削減目標)強化に伴って、コンプライアンス市場が拡大していくことになります。
ただし、コンプライアンス市場といいましてもその核となるキャップ&トレードの排出量取引は世界30か所以上で分散実施されており、EU-ETSのような超国家レベルのものから中国、英国、韓国、ニュージーランドなど国家レベルのもの、米国やカナダの州単位で協力またはリンクしつつ実施されているもの、そしてカリフォルニアや東京都など単独の自治体レベルで実施されているものなど多種多様あり、そこで取引されているクレジット価格も様々です(下表参照)。そしてこれらのコンプライアンス市場がパリ協定6条合意と直接関係をもつことがあるとするならば、それは京都議定書時代に、上限はありますが、EU-ETSでCDMやJI由来のクレジットが利用可能であったように、各キャップ&トレード制度内で6条クレジットが利用可能になるときです。
(*1)
2035年までに2013年度比60%、2040年までに73%削減を目指す。
(*2)
例えば、締約国はNDCを5年毎に作成、提出する法的義務を負っており、前回より野心的なものにしなくてはならないという制限が課されている(後者については条文でshallではなくwillが使われているため法的義務ではない)ことなど。
Map of Carbon Taxes and ETSs
(出典: World Bank Group. State and trends of carbon pricing)
Prices and Coverage Across ETSs and Carbon Taxes, as of April 1, 2024
(出典:World Bank Group. State and trends of carbon pricing)
また、間接的には、パリ協定という気候変動問題に関する最重要な国際条約下での合意であるため、そこで創出されるクレジットは透明性、信頼性、高品質性において共通の認識がもたれています。そのため、各コンプライアンス制度そして市場は6条の在り方に準拠する方向に向かうことになります。たとえば、2024年10月、6条2項の協力的アプローチに向けて、インドネシアにおけるGHG排出削減認証スキームであるSPEI*3と日本のJCM*4間で、同レベルに適正で十分な制度であることを相互承認するためのMRA*5(Mutual Recognition Agreement)が結ばれたことや、2025年3月、日本のJCM推進・活用会議におきまして、JCM実施要綱が廃止され、その枠組み自体をパリ協定第6条に基づく二国間の協力的アプローチとして包括的に承認する決議がなされたことなども具体的事例として挙げられます。
(*3)
SPEIは(Sertifikasi Penurunan Emisi Indonesia)というインドネシア語の略称であり、英語名称では、the Indonesian GHG Emission Reduction Certification Schemeとなる
(*4)
JCM自体、コンプライアンスとは言い難いが、これもパリ協定準拠の方向性から准コンプライアンスと捉えてここで扱っている。JCM詳細は前編の“JCMと6条2項”パートをご覧ください
(*5)
相互承認取決めのこと
京都議定書からパリ協定への移行期間において、SDGsの影響や、特にネットゼロを自主目標として掲げる企業が増えたこともあってボランタリー市場は一時急速な拡大傾向にありました。そして、後述しますが、そのような傾向を制度的に後押しするTSVCM(Taskforce on Scaling Voluntary Carbon Markets)やICVCM(The Integrity Council for Voluntary Carbon Markets)そしてVCMI(Voluntary Carbon Markets Integrity Initiative)などボランタリークレジットの拡大と質の向上を目指した制度が設立されました*6。しかし、特定のプロジェクトに関してベースライン*7や追加性*8、永続性*9、リーケージ*10などの観点からグリーンウォッシュであるとの批判が拡大したこともあり、やや落ち込み傾向もみられています(下図参照)。そうした背景の下、SBTi(Science Based Target Initiative)の中和条件*11などの影響もあって、ネットゼロなど自主目標を掲げる企業の間で植林由来に代表される自然系CDRクレジットやDAC(Direct Air Capture)などに代表される技術系CDRクレジットへの関心が高まりました。しかし後者の場合にはその膨大な技術開発コストを反映して、特にDACなどによるクレジット価格は大変高価であり、供給量もまだ非常に少ないものとなっています。下記2つの図において、取引量が半減している中で取引高が若干の減少になっていることにも反映されていると思われます。
一方、企業の社会的責任を果たすというESG的観点やパリ協定上さらなる野心が求められていることから、グリーンウォッシュへの注意を払いつつ、より質の高いボランタリークレジットを求める傾向はますます高まるものと思われます。そして、キャップ&トレードの制度内で認められている適格ボランタリークレジットがある場合には、その点においても需要が増えていくものと思われます。たとえば、シンガポールではキャップ&トレード式の排出量取引は実施されていませんが、カーボンクレジット取引市場があり、自国の炭素税の一部について(上限5%)国際的なボランタリーカーボンクレジットによるオフセットを認めており、前編でも紹介しましたように、6条2項の協力的アプローチを積極的に進めています。
(*6)
後述「ボタンやリークレジットの高品質・十全性確保に向けた動き」参照
(*7)
削減プロジェクトがなかった場合に想定されるGHG排出量
(*8)
当該プロジェクトが実施されなければ、実現しなかったGHG削減量や吸収量があること
(*9)
GHG削減・吸収が長期間にわたって維持されること
(*10)
ある地域で排出削減・吸収プロジェクトが実施された結果、他の地域で排出が増えてしまうこと(排出源の移動など)
(*11)
2050年ネットゼロに向けた残余排出量に対して中和をする場合にはCDRの利用だけが認められている
(出典: ECOSYSTEM MARKETPLACE INSIGHTS REPORT State of the Voluntary Carbon Markets 2024)
(出典: ECOSYSTEM MARKETPLACE INSIGHTS REPORT State of the Voluntary Carbon Markets 2024)
パリ協定締約国の多くは途上国であり、削減余地が大きくあったとしても資金・技術面からそれほど高い目標を掲げることができないケースが大半です。そのため、先進国からの支援が受けられた場合と単独による場合の2種類のNDCを掲げている国は少なくありません。そして多くの締約国がNDC達成に向けて6条市場メカニズムの利用を掲げています(下表参照)。途上国にとっては自国において先進国(投資国)による6条プロジェクトが実施されることにより、資金や技術をはじめとした恩恵を得ることができ、先進国にとっては自助努力だけではNDC目標を達成できない分をITMOs化した6条クレジットによって補填することが可能となります。
この観点からPACM由来のクレジットであるA6.4ERsに対する需要・供給共に今後ますます高まるものと思われます。この6条4項につきましては方法論がでそろってくるにしたがい、それらを利用したプロジェクトが活性化していくことになります。一方、前編でもふれましたように、JCMのような協力的アプローチの実施可能な国の場合には6条2項によるITMOs化が可能となるため、これら両者が相俟って6条クレジットの利用は大幅に拡大していくものと思われます。
(出典: UNFCCC NDC Synthesis Report 2024を基に作成)
企業の自主目標に焦点を当てた場合に、ボランタリークレジット利用の拡大が見込まれることを上述しましたが、2022年からの市場規模縮小傾向の要因の一つと思われるグリーンウォッシュ批判を免れるためにもインテグリティのある高品質性が求められます。
例えば、REDD案件などでしばしば取り上げられたベースラインにつきましても、これまでのように一度決めたベースラインを静的なものとして使い続けることは控えられ、いわゆるダイナミックベースラインと呼ばれる動的に変化していくベースラインの使用などが一般化されていくことになります。その他追加性やリーケージ、永続性など特にプロジェクト遂行にとって致命的欠陥にかかわるような問題点につきましては大変厳しく審査されることになります。さらに削減量(吸収量)を確定させるためのモニタリングにつきましもこれまで以上の正確さが求められるようになります。
さらにNDC達成を目指した各コンプライアンス制度においてもそこで扱われるクレジットの質の向上が必須になります。自助努力の範囲内におけるキャップ&トレードの場合には、そこでのMRV*12や削減量などは、最終的に国のGHGインベントリーに反映され、UNFCCC事務局に提出されることになりますが、内容に関して問題があるとみなされた場合にはレビューされて改善すべき箇所が特定されることになるからです。
このようにNDC目標達成や2050年ネットゼロ実現のために利用されるコンプライアンス、ボランタリークレジット共に全般的な質の向上がもたらされることになりますが、その際、6条クレジット創出に向けた方法論や手続きなども含めた具体的な内容がカーボンクレジット全般的な質の基軸としての役割を遂行していくものと思われます。
バクーとカスピ海(筆者撮影)
(*12)
GHGの排出削減の実施状況を測定(Measurement)し、報告(Reporting)し、その削減状況を検証(Verification)する仕組みのこと
2015年、TCFD(Task Force on Climate-related Financial Disclosures)を立ち上げた元銀行総裁マークカーニー氏(カナダ現首脳)は、今後、カーボンクレジットの供給不足が発生する可能性が大きいであろうことから、その市場拡大を目的として2020年にタスクフォースとしてTSVCMを立ち上げ、ボランタリー市場を15倍の規模にして同時に質を高めることを提唱しました。そして高品質要件の策定、管理、評価等を担うICVCMが2021年に設立され、2023年に高品質クレジットの要件であるCCPs(Core Carbon Principles)が公表されました。
このようなクレジットの供給サイドの動きに対して、英国政府主導の下、需要サイドのイニシアティブとしてVCMIが2021年に設立され、クレームコード*13が発表されました。そしてICVCMとVCMIは2023年に提携したため、企業は一連の手続きを経ることによって信頼性ある高品質なクレジットを利用していることを主張できるようになりました(下図参照*14)。しかし、当然、これらのクレジットは6条クレジットとは別のものであり、企業の自主目標達成のために利用されることが前提です。
(ICVCM、VCMI資料などを基に筆者作成)
(*13)
信頼性のある高品質なクレジットを利用していると主張するためのガイドライン
(*14)
VCMIのクレームコードについてはこちらを参照
一方、企業価値向上のために6条クレジットを利用する場合には、緩和貢献としての利用となるため相当調整が不必要になります(前編参照)。そのため、今後企業価値向上という目的のためにも6条クレジットの使用増加が見込まれることとなります。従って、高品質クレジットのためCCPsを目指すか、6条クレジットを目指すかは企業次第になりますが、CCPs~クレームコードといった煩雑な手続きを考えますとPACM等6条クレジットではなくCCPsを目指すインセンティブについては疑問が残ります。
ところで、CORSIA(Carbon Offsetting and Reduction Scheme for International Aviation)におきましては、現在航空業界に課されている排出削減義務につき適格なボランタリークレジットが多く利用されていますが、2027年の第二フェーズ以降はICAO加盟全締約国に義務が課されることからコンプライアンス制度においてボランタリークレジットが利用されることになります。また、カリフォルニア州の排出量取引制度では、ボランタリークレジットである、ACR(American Carbon Registry)やCAR(Climate Action Reserve)の使用が認められています。前述しましたシンガポールの事例なども含めて各コンプライアンス制度において同様なことが認められる事例が増えるとボランタリークレジットの利用範囲が広がり供給量が増加することになりますが、それはカーボン価格の低下につながるかもしれません。EU-ETSではMSR*15という価格を安定化する機能を有していますが、今後コンプライアンス制度下でボランタリークレジットの利用可能性が高まるにつれて、ある程度の管理的機能を有した市場メカニズムの在り方についての議論が必要になることと思われます。
また、現在までボランタリー市場が中心となっている技術系のCDRクレジットにつきましては、6条において方法論が整備されてきているため、スケーリングや自然系CDRとの価格競争の下、その価格は中長期的には次第に低下していくものと思われます。
一方、EUでは昨年末にCRCF(EU Carbon Removals Certification Framework)がEU理事会の承認を得ました。これは世界初の自主的なカーボンリムーバルに関する独自の認証基準であり、EU公認による透明性の高い制度構築が期待されています。EU域内かつボランタリー制度ということですが、EU-ETSやCSRD*16そしてCBAM*17との関係だけでなく、パリ協定6条におけるCDRクレジットとの関係について今後の整理が必要とされることと思われます。
(*15)
Market Stability Reserve の略で、排出枠(EUA)のオークションの量を自動調整することで、排出枠の過剰供給を抑え、排出権価格の安定化を図るもの
(*16)
Corporate Sustainability Reporting Directiveの略称で企業サステナビリティ報告指令のこと。企業に対し、脱炭素化計画において利用するクレジットの種類と規模を明らかにすることを義務付けている
(*17)
Carbon Border Adjustment Mechanismの略称で炭素国境調整措置と呼ばれる。域外諸国からのセメント、アルミ、肥料、電力、水素、鉄鋼の輸入について、製品当たり炭素排出量に基づく証書の購入(=輸入課金)を求める炭素国境調整措置。製品単位あたり排出量や原産国で支払われた炭素価格等の情報を報告する義務を課すもので、2026年から本格導入予定
以上、概観しましたように、コンプライアンス - ボランタリー両市場間における制度的な連携やそれに基づくクレジットの利用方法などについては、これまで様々な検討がなされ進化してきているところですが、いかなる場合にも十全性を伴うクレジットの質の高さが求められていることは変わりません。さらに、気候危機と呼ばれる現状に鑑みると人類の経済・社会的活動すべての土台となる自然資本に対する大きな脅威に対処することが最重要課題であるため、原点に立ち返り、まずはGHG排出を控えるためのミティゲーションが必要条件であり、プロジェクトサイトにおけるコミュニティの持続可能な開発や、生物多様性保全なども含めた自然ベースプロジェクトの重要性はますます高まるものと思われます。
そして、今後中長期的に見て、パリ協定の柔軟性措置による6条クレジットの利用や市場連携が拡大してくると(制度調整など時間もかかりますが)、クレジットを利用する企業にとっては、コンプライアンス - ボランタリー間だけでなくそれぞれの市場内での選択肢が増えることになるでしょう。
その時、企業が目指すべき方向性は、企業理念、社会的責任、そして統合思考に基づいた新たな中長期的企業戦略によって見出されるべきものであり、同時に、上記のように、気候変動危機という自然資本に対する大きな脅威の存在が本源にあるということを再認識することが強く求められます。
記事投稿者:丹本 憲
ケンブリッジ大学大学院卒 MPhil (開発学)、元国連環境計画(UNEP)本部プログラムオフィサー、帰国後は政府系、銀行系、証券系各シンクタンク等を経て2022年エネルギー営業戦略部主席ストラテジストとして入社。30年以上気候変動政策に携わらせていただいています。非常に多趣味ですが、とりわけ音楽なしの生活は考えられません。
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